はじめまして。2008年度に広島アライアンス教会で奉仕することになりました、日本アライアンス神学校2年生の田中 慎一と申します。1年間よろしくお願いいたします。自己紹介 を兼ねつつ、少しばかり書かせていただきます。
私は、生まれは広島の中区、そして中学から名古屋で育ちました。母教会は日本アライアンス教団の名古屋キリスト教会です。どうして素晴らしい広島を離れて名古屋に移ったのかといいますと、今私が勉強させていただいている神学校を、当時学んでいた父が卒業して、名古屋教会の副牧師を命じられたからです。家族六人は、広島から名古屋に大移動をすることになりました。名古屋の地で私は、中学→高校→大学、と牧師の子として過ごしました。幸い洗礼は名古屋に移る前の年に、当時五日市キリスト教会の牧師であられた田村幸三師より授けていただいていたので、反抗期に親から受洗するという大きなハードルはなく、ひねくれずにすみました。
大学では児童教育という分野を専攻して、保育士・幼稚園教諭の免許を取れるコースを選択しました。私は兄弟が下に三人いて、男・女・男・女と綺麗に産み分けられた長男として育ちました。下の三人とは少し年齢が離れていたこともあり、周りから面倒見のいいお兄ちゃんと刷り込まれて育ちました。そのせいか、子どもが好きだという理由で保育士に興味を持ち、大学で勉強することにしました。大学では、実際の保育はもちろん、たくさんの子育て支援の問題や、虐待や格差という社会の問題、そして子どもに(広い意味では人間に)もっとも必要なことはなんだろうと考えました。
もっとも必要だけれども、保育や教育では伝えられないもの。それは、「信仰」ではないかなと思います。人間の根っこにあって、すべてのものの土台となるもの、「神さまとの関係」です。この神さまとの関係が切れていることが「罪」であり、すべての問題の根源だと思います。いくらいい保育、いい教育をしても将来その子がどうなるかは分かりません。目指しているものがその社会が求める大人像である以上、社会が変われば今まで良しとしてきた価値観が崩れてしまうからです。しかし絶対に変わらないことがあります。それは神さまが貴方を(人間を)愛して下さっているという事実であり、メッセージです。どんな社会だろうと、どんな文化だろうと、何歳だろうと、どんな環境だろうと変わらないこと。それを伝えることができるのはなんと素敵なことでしょうか!そして保育が終わったから、教育が終わったから、という理由で人を次の段階へ押しやって無責任・無関心になるのではなく、神の家族だからという理由で共に交わる「教会」という共同体で働けるのはなんと素敵なことでしょう!
と、大学時代はそんなことはまったく考えませんでした。保育なら自分でなくてもできるし、働きたい女性はたくさんいるし、子どもが少なくなって需要はそれほどなくなっていることに大学4年生の時に気づき、御言葉を頼りに神学校に導かれました。献身の御言葉を最後に書きますが、そこにあるように神学校の学びの中で、上に書いたことに目が開かされつつあります。
広島教会で皆さんとの交わりと、何よりも礼拝を通して神さまの愛に触れて、ますます成長させていただきたいと思っています。1年間どうぞよろしくお願いいたします。
「わたしはあなたを目覚めさせ行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。」詩篇32編8節