故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
教会では十分の一献金を強調しますが、これは義務でしょうか。しないと、生活が祝福されないのでしょうか。私は現在、経済的にとても大変な中にいるのですが。
イザヤ・ベンダサンの日本人論を面白く読みました。その中で彼は、「クリスチャンは甘えている」と言います。
「今月献金が納められないなら来月納めよう」と考えるのがクリスチャンなのだそうです。ユダヤ人は今月納められなければならないものは、他人から借金してでも献金してその借金の方を翌月返すのだそうです。なぜなら、神様は無担保で私たちに人生という資本を貸してくださったのだから、その利息はきちんと支払わなければならない、と述べています。
献金することは義務だと思います。しかし、それが「十分の一」かというと、私はそうは思いません。もっと多くても(もっと少ないケースがあっても)、かまいません。要は「心で決めた」(コリント人への手紙第2、9章7節)金額を守ることです。だれにも強制されずに、主イエスを愛する心で決めてください。
経済的に大変だとのこと、ご同情いたします。しかし、いくらの金額があれば喜んで献金できると思いますか。たくさん与えられたから献金できるというものではありません。また、給料から税金とか共済費とかが天引きされています。そのために生活ができなくなったということは聞きません。献金も天引きされたつもりで最初にとってしまうのも1つの方法です。工夫してみてください。
献金したから祝福される、というものではありません。献金してもしなくても神さまは祝福してくださいます(マタイによる福音書5章45節)。献金は祝福してもらっていることに対する、感謝の表れとしてするものなのです。
↑PAGE TOP