故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
私は人が大勢集まっているところが苦手です。家で自分ひとりで礼拝してもいいでしょうか。
礼拝とは、主イエスと公式に出会う場です。イエスさまはそれを、「ふたりでも、三人でも、わたしの名において集まるところには、私もその中にいる」(マタイによる福音書18章20節)と表現されました。どうも1人での礼拝は無理なようです。
突然ですが、神さまは「人を男と女に創造された」(創世記1章27節)とありますが、どうしてだと思われますか。違う存在が理解し合い、協力し合うことによって新しいことが始まるようにと計画されたからです。
礼拝は隠遁生活ではありません。主イエスが復活によって始められた、新しい時代の幕開けを告げる儀式なのです。新しい時代が栄えていくためには、いろいろな人が、たくさん集まって欲しいのです。そしてお互い心を合わせて、イエス様の喜ばれる時代を築き上げていきましょう。
「でも」と、あなたは言いたいのでしょう。
教会は、新時代へ向けて船出した「ノアの箱舟」のようなものです。猛獣も乗っていれば、毒蛇も隠れています。だからといって箱舟を降りてしまえば、肝心の新時代へたどり着くことが出来ません。
しかしありがたいことには、この箱舟には、やさしい動物も、役に立つ動物もたくさん乗せられています。
礼拝という行為ではなく、2、3人集まるという「交わり」に目を向けるならば、永住の住まいまで一緒に行く良い仲間を教会の礼拝で見つけることができるでしょう。そんな礼拝を、イエスさまは喜んでくださるのです。
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