故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
教会内には、洗礼を受けていない人に対する差別があるように感じます。みんな同じように扱ってもらえませんか。
昔は、礼拝が2つあったようです。イエスさまを信じた人たちだけで集まる礼拝と、一般に公開される、だれでも参加できる集会、との2つです。
初めの礼拝は、まだキリスト教が公認されていない時代には、秘密の集会でした。そこで行われる聖餐式(イエスの死を記念する儀式)を赤ん坊を殺して食べるのだろう、などと誤解されるほど、この礼拝は秘密にされていました。この特別な礼拝に参加するためには、集団に加わるための儀式、すなわちイエスの弟子入りするための儀式(洗礼)を受けなければなりませんでした。
やがてこの2つは、1つの集会の中で行われるようになりました。まず一般人への集会があり、それに続いて聖餐式を中心とする礼拝に入っていきます。
その時「ミサ」と叫んで、洗礼を受けた人以外は会場から出てもらうようになりました。聖餐式の部分をカトリックで「ミサ」と叫ぶようになったのは、ここに由来します。
現在のプロテスタントの教会では、2つには分かれておりません。全部が1つになっています。でも、歴史的な背景を負っていますので、聖餐式(マタイによる福音書26章26〜28節)はもとより、礼拝の中心的なこと、説教、司式、司会、祈祷などは伝統的に信仰者が奉仕することになっています。またそのミニチュア版の教会学校の奉仕や、婦人会、壮年会などの役員も、洗礼を受けた者が奉仕しています。
差別ということではなく、2つの礼拝が重なって信仰しているのだ、と理解してください。そして早く、これらの両方の礼拝に出席できるようになってください。
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