故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
聖餐式の意義について教えてください。また、式の中で味わうパンとぶどう酒には、何か神秘的なものがあるのでしょうか。それとも、ただの象徴でしょうか。
十字架に変えられる前夜、イエスさまはお弟子たちと最後の食事をされました。そのとき、イエスさまはこう言われて、この儀式を定められたのです。「私を記念するため、このように行いなさい」(ルカによる福音書22章19節 口語訳)、この「記念」という言葉は、ヘブル語ではとても深い意味を持っています。「時間と空間とを超えて臨場する」ことを意味することばです。
私たちは、聖餐式に参加するとき、その言葉に招かれ、タイムマシンに乗って、あの夜の2階座敷を訪問します。地上を歩まれ、その愛を余すところなく与えてくださる主にお目にかかるためです。
彼は、その愛のしるしとして、裂かれたパンとぶどう酒の杯とを与えてくださいます。しかも、「これは、わたしのからだ、この杯はわたしの血」(コリント人への手紙第1、11章24-25節)との言葉によって、翌日の十字架の死を予告されたばかりでなく、その死と私たちとを関係づけてくださいました。
パンとぶどう酒は、肉と血という意味において、イエスさまが肉体をとってこの地上を歩まれたことの象徴でした。そしてまた、彼が十字架の上に死んだことのしるしでもあります。
私たちがそれを受けるのは、(1)二階座敷に集まった人々と同様に、彼の弟子であることを確認する、(2)彼の死は、罪のために死ななければならなかった私のための死、すなわち私の身代わりの死であったことを承認する、(3)これからの後は、私が生きるのではなく、彼が私にあって生きていくことを承認する、ためなのです。
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