故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
神さまは私の必要のすべてをご存知ですよね。それならば、別に祈らなくても、神さまは必要なものを必要なときに備えてくださいのではないでしょうか。
そのとおりです。私たちの必要のためには祈る必要はありません。しかし、イエスさまもご自身の必要に対してお祈りしたようです。お弟子さんたちに教えたお祈り「主の祈り」の中に、「日ごとの糧を毎日お与えください」(ルカによる福音書 11章3節)とあるのはよく知られています。この祈りの意味は、「毎日、きちんと、私たちの必要なものが与えられますように」ということです。
私は小学校1年生の時に、大病(胃腸病)をしました。長い絶食期間の後、流動食、やがて固定食に変わりました。そして最初の食物はお医者さんによって、「マッチ箱大の食パン」と決められました。実はその時期の食事が一番大切だったのです。食欲のかたまりみたいな私は、看護師さんとパンの大きさで大喧嘩をしました。看護師さんは私の食欲をではなく、健康を考えた大きさを選んだものですから。マッチ箱にも家庭用の大箱もあれば小さいのまでありますからね。
もし私たちに欲望(食欲、見栄、気ままな感情など)がなかったら、お祈りなんかしなくても、神様が与えてくださるだけで、満足できるでしょう。しかし残念なことに、私たちは毎日毎日、自分に何が、どれほど必要なのかが分かりません。ですから、神さまに要求を突きつけるようなお祈りをすることになります。
神さまは私たちの祈りをもちろん聞いてくださるでしょうが、その内容を問題にするのではなく、祈ったという行為を喜んで、平安をもって応えてくださるのです(ピリピ人への手紙4章6−7節)。
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