故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
焼香は、死者の臭いを消すために焚くものだ、と聞いたことがあります。あとに残された家族、親族への慰めの気持ちを表わしたいのですが。「焼香しなかった、という勝利の証し」は、自分だけを大事にしているように思えるのですが。
焼香は、仏を礼拝する形式の一つです。「香は仏使なり」、また「香は信心の使いなり」と言われています。香を火に焼くときに、一度は一心を表わし、二度は弥陀・釈迦二尊への、あるいは現世と来世への祈りのために、三度は三世諸仏、または三宝供養のため、と言います。そして焼香は、六種供物の中の一つで、精進を表わします。お悔やみのお金に、「香奠」と書きますと「香を供える」意味になり、「香典」と書きますと(典は「おぎのる」と訓じて、買い取るの意味ですから)「香奠の代わりに供える代金」という意味になります。 ここまでこだわるなら、キリスト教は「香典」と書かずに「お花料」と書くと言われていますが、この「供花」も六種供物の中の一つです。忍辱(にんにく)を表わし、心を柔軟にすることを意味します。この「供花」の代金を意味しているのが「お花料」ということになります。ちなみに六種供物とは仏に近づく六種の修業を表わす供物のことで、前述の他に、供水、塗香、供飲食、供燈明、となっています。 さて遺族への慰めの気持ちの表わし方ですが、遺族が、どうしても焼香してほしい、と言われたら焼香したらよいでしょう。でもそこまで親しい間柄なら、「私の信仰で故人を記念させていただきます」と申し上げたほうが、お互い楽ではないかと思います。現に創価学会の方などそのようにしておられるようですので、けっして難しいことではありますまい。神社の前で拍手を打たなかったからといって、「須磨だ、明石だ」と言って騒ぐことではないでしょう。
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