故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
預言書や黙示録など、まるで四次元の物語と思えてきます。そこから霊的な糧を得るどころか、内容を理解することさえ困難です。こういう箇所は読み飛ばしておいてもいいのでしょうか。あるいは、読み解く術があるのでしょうか。
聖書をなぜ読むのか。聖書は神さまが私たちに向かって語られた言葉だからです。神さまの言葉を理解して、霊的な糧を得るためです。
確かに、聖書には耳慣れない表現や異なる文化的背景の出来事も書いてあります。ですから私たちがいきなり読むと、初めは混乱するかも知れません。もし聖書を読むのなら、理解できるところだけを読むか、理解するために、注解書や手引書を用いてきちんと読むことを勧めます。
まず、面白いところだけを読む、これは良い読書法です。よくわかりますし、印象にも残ります。信仰の初歩の方にはぜひお勧めしたいやり方です。また、こうして信仰の初期にしっかり聖書の面白いところだけでも読むことは、信仰生活の基礎作りとして非常に大切です。
そして、少し信仰が進んでまいりますと、良い手引書を手元において読むことをお勧めします。この手引書にも初級から免許皆伝まであります。そしてそれなりに難しいところ、必要のないところは避けて読むようにしてありますから安心です。
それとは別に、通読のためにも読んでください。これは初めから終わりまで、読むということを目的として読むことです。わかってもわからなくてもひたすらに、ただ読むことです。こうして読んだものは、面白い、理解できた、とは別に、心のどこかに残るものです。そしてそれが何かの拍子に、ふっと心の中に湧いてきて、私たちの人生を変えてくれることもあるのです。
聖書は、今日のため、そして明日のために読む、と覚えてください。
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