故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
職場の中で虫の好かない人、憎たらしい人がいます。クリスチャンとして失格でしょうか。聖霊に満たされれば、こんな否定的な思いはなくなるのでしょうか。
だれでも好きになれるというのは、単に惚れっぽいだけです。好き嫌いの感情を持つのは人間として仕方のないことでしょう。お互いに違う生活史を経て、違う価値観を持っているのですから。
確かに嫌いな奴の顔なんか見たくもないでしょう。ただその感情が、特に嫌悪の感情があなたの行動にもろに表れるのであれば、問題です。そんなことでは、正常な社会生活ができるはずがありません。
たとえば火事に遭って、その人が煙に巻かれて逃げ遅れていたとしたら、嫌な奴でも助けるのは当たり前です。もし助けることをせず、見殺しにしたとすれば、そこにあるものはもはや感情ではなく、「憎しみ」という意志でしょう。
イエスさまはこの「憎しみ」という意志を排除なさいました。同じ意志なら対極にある「愛」という概念を、と勧められたのです。
火事などという物理的危機状態の中にいなくても、人間は滅びの淵をさまよっている者です。そういう霊的な状況を正確に把握できれば、たとえ嫌な奴であっても、彼の救いのために手を伸ばさざるをえません。それが「敵を愛し、祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)の意味だと思います。
聖霊に満たされれば、だれをも好きになれるのではなく、人間的には嫌いな奴のためにも真剣に祈れるようになる、これが正解です。そしてあなたが朝に晩に名前をあげて祈っているとき、その人との間に、顔を見るのも嫌という状態がいつまでも続くと思いますか。
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