故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
牧師や伝道者になるのが、クリスチャンにとって一流の人生であって、平信徒の人生は、どんなに神さまのために奉仕したところで、二流の人生なのでしょうか。「献身」という言葉を聞くたびに、そんなことを思うのですが。
クリスチャンの人生に、一流も二流もありません。たとえば聖公会などでは、教会の構成員を「教職」と、それ以外の「信徒職」とに分けます。それぞれに固有の職分を持っており、主教による任職式が行われます。信徒として専心奉仕するのであれば、これを「献身」と言ってもかまいません。
しかし「献身」という言葉は、一般的には「伝道者になること」を意味することになっています。これは日本人独特のものだ、と私は思います。昔、これは「出家」と呼ばれました。文字どおり家を捨て、家族との縁を絶つことでした。だからして出身がどんな階層でも、成功すれば地位・名誉を得ることもありましたが、実際には、経済的にも社会的にも不安定な生活へ入っていくこと、を意味していました。日本人はそういう悲壮感が好きで、出家することを高く評価したのでしょう。
今日の私たちは、「献身」も同じイメージでとらえがちです。立派な一人前の人間が、経済的にも何の保証もないところへ飛び込んでいく。しかも自分のためや、愛する女のためではなく、神さまのためだ、と言うのですから、ジーンと来るわけです。
ですから、あなたが「献身」することはとてもすばらしいことですが、他人のそれを見て、羨ましがったりひがんだりするのは、日本人特有の「出家美学」に酔っているだけかもしれません。献身とは、あなたに与えられている生涯を、神さまに献げ(ささげ)、用いていただくことなのです。一度、きちんと、神さまがあなたに何を期待しておられるか、あなたは何を献げるべきかをよく考えてください。
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