故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
証しになるって、どういうことでしょうか。成績優秀、高収入など、目に見える成功が伴って、「あいつの後には神さまがついている」と、第三者に認めてもらえるようになることでしょうか。
「証し」というのは証明、証拠のことです。しかし、何を証明するのかと言えば、人間についてではなく、神さまについてです。
「あいつの後には神さまがついている」という言葉は、「あいつ」のことを問題にしているにすぎません。だから、ついているのは神さまではなくて、運でも、才能でもよいわけです。成績優秀、高収入などの成功は、「神さまは、あいつのような者でも恵んでおられる」という「証し」に使うことはできますが、あまり一般的だとは言いかねます。
「証し」は、苦難や絶望的状況の中でも、神さまが、働いておられることを証明するために語られるものであって、この苦難などの前提条件が明確にされる必要があります。たとえば、<目に見える困難な状況の中>での「成功」とか、<知れわたった苦難の中>での「勝利・明るく生きていること」などが神さまのお蔭であると言われて、「証し」とされるわけです。ですから、「証し」とは、徹頭徹尾、神さまがほめたたえられることです。
もう一つは、神さまのことを傷つけないための私たちの言動、と定義することができます。積極的に神さまが働かれたのでなくても、一般の人が持っている神さまについての認識を壊すようなことをしない言動です。
いずれにしても私たちは、証しになるかならないかを問題にするよりも、ただ神さまの前にへりくだって生活していればいいのです。
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