故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
独身主義で通す、と言う人を見て、あこがれます。結婚は自立につながらないのではないでしょうか。どうお考えですか。
聖書には「独身」を肯定する言葉があります。例えば、マタイによる福音書19章11、12節などですが、独身で過ごすことのできる人は、神さまから特別に許可を受けた人だけである、と書かれています。
独身の原因として、イエスさまは3つのことを挙げています。初めの2つ、神さまがそのようにお造りになった者、そして結果的にそうなった者、については納得がいきます。
しかし3番目の、自分で決断した者については、使徒パウロは、「時は縮まって」(第Iコリントの信徒への手紙 7章29節)いるから結婚している暇はない、と解説しているようです。当時のコリント教会の事情を研究してみてください。
いずれにしても「独身」という事柄は神さまとの関係で考えるべきで、結婚は煩わしいから、独身のほうが自由でいいから、などといった理由で考えるべきではありません。
女性に対して、「子を産むことによって救われます。」(テモテの手紙 第1 2章15節)とあり、また寡婦にさえも、「結婚し、子どもを産み、家庭を治め」(テモテの手紙 第1 5章14節)ることを奨励しています。それは、神さまが女性に、夫を愛し、家族を愛し、彼らを支える人生を送ることを期待しておられるからです。
同様に、男性に対しても、監督は「ひとりの妻の夫であり」「家庭をよく治め」(テモテの手紙 第1 3章2,4節)る者であることを要求されています。これは神の家に仕える仕事の基礎的資格として、家庭生活を経験しなければならないことを意味するのでしょう。
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