故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
病気になった場合、それを神のみこころとして受け入れるべきでしょうか。そうなら、癒しのために祈るのはよくないのでしょうか。あるいは、サタンのしわざとして闘うべきでしょうか。
病気をお造りになったのは神さまです。神さまはいろいろな病気をお造りになり、さまざまな用い方をされておられます。それは想像もできないほど多種多様な用い方です。あるときは、人生の最後の幕引きとして、またあるときは、人生が始まる出会いの舞台装置として、さらに他のときには、深い悔い改めのための静かな時として。ですから、病気を画一的に判断することは避けねばなりません。
でも病気になったとき、どうしてもしなければならないことがあります。それはお祈りです。病気は人間同士のコミュニケーションをも活発にしますが、神さまもそれを望んでおられるようです。
お祈りの第一は、「感謝」です。せっかく、あなたは「選ばれて」病気になったのです。何はともあれ、感謝しましょう。神さまのなさることに不善はありません。
第二に、癒されるように祈りましょう。「あなたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピの信徒への手紙4章6節)とあるからです。祈ったから癒される、とはかぎりません。でも確かに主はあなたの祈りを聴いてくださり、「平安」(ピリピの信徒への手紙4章7節)をもって応えてくださいます。そして、病床でいちばん必要なのはこの「平安」なのですから。
最後に、家族、友人、周りの人たちのために、執り成しの祈りをしましょう。「ヨブの忍耐を聞いて、主がなさったことの結末を見た」(ヤコブの手紙5章11節)とありますが、私たちもヨブのように「友人のために祈る」(ヨブ記42章10節)人になりたいものです。
これこそ、神さまがお定めになった病気の目的、ではないでしょうか。
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