故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
「御霊に属する人」「肉に属する人」という表現が聖書に出てきますが、クリスチャンにも二種類の人がいるのでしょうか。それとも、一人の人の中に、この二つの状態が出てくる、という意味でしょうか。
第一コリントの三章一節にその言葉が出てきます。これは続いて読んでいくとわかるように、クリスチャンの発達の段階を表わしている言葉です。「キリストにある幼子」という状態が肉に属する人です。キリストを<親>になぞられ、親子関係で説明するのが適当でしょう。
子どもというのは本質的に自己中心的です。児童より幼児のほうが、そして嬰児がもっとも利己的です。自分の要求しか考えていません。キリストとの関係でも、こうした自分の肉的(自己中心的)な要求だけで結びついているのを「幼子」と呼んでいるのです。子どもが大人になっていくというのは、親のことが理解できるようになり、同情し、協力して、やがては親に代わって親の重荷を担うようになることです。キリストとの関係でも同様です。キリストの心を理解できるようになる、それを御霊に属する人と呼びます。なぜなら、キリストの心を私たちの内に注ぎ込んでくださるのは、御霊(聖霊)だからです。
私たちの間で、子どもの中にも大人のように振る舞う子があり、大人でも子どもっぽい人もおります。しかしどんなに子どもっぽく見えても、大人は大人であるように、私たちの内に御霊の導きを受け始めるならば、私たちはクリスチャンとして成長し始めるのです。
肉から霊へ、それは成長の段階です。神さまは私たちの成長をどんなにか待ちわびておられることでしょう。
↑PAGE TOP