故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
私はかつて大きな罪を犯しました。イエス様を信じることによって、神さまにその罪をゆるされたことはわかりました。では、罪の償い(つぐない)はどうなるのでしょうか。
神さまのほうでは私たちの罪を忘れてくださいます。しかし、私たちのほうでは忘れることができません。特に、人間関係においては。しばしば、そのことによって引き起こされるもつれで、大変な困難に巻き込まれることがあるからです。
「バター・アンド・トースト」という諺をご存知ですか。お礼の言い方、とでも訳せるもので、トーストが熱いうちは少量のバターで済みますが、時間が経つにつれてトーストが冷えてくるとバターの使用量も増やさざるを得なくなります。お礼も同じで、すぐなら、電話一本、ハガキ一枚で済むものが、時間が経てば、名産の宅配便や巻紙に毛筆のお礼状を、ということになるかもしれません。
一つの罪の結果は、時間とともに幾何級数的に広がります。しかも多くの善意の人たちを巻き込むのです(たとえは悪いかもしれませんが、不倫で妊娠したとすれば、生まれてくる子に罪はないとは言っても、その子の生涯とその子の将来に関わる多くの人たちにどんなに大きな悔恨を残すことか)。
ですから、結果のすべてに対応しうるのは難しいかもしれませんが、悔い改めを形に現すものとして、誠意をもって対処しなければなりません。罪は神さまと私との間だけのこと、として理解され、処理されるのは恐ろしいことです。今日の複雑な社会の仕組みの中では、(罪に大、小はないのですが)どんな小さな罪に対しても迅速な対応(悔い改め)が要求されます。
神さまに告白してその罪を赦された、ということは、その対応への励ましであり、導きである、と受け止めて、勇気をもって(誠意とともに)償いに当たってください。
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