故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
聖書には「いつも喜んでいなさい」という聖句がしばしば出てきますが、感情を押し殺すことを命じているのでしょうか。
若いとき、結婚したかった時期がありました。毎年正月には、「今年は結婚するぞ」と計画を立てるのです。計画の内容は新婚旅行。日時から目的地、費用まできちんと計画するのですが、肝心のお嫁さんが決まらず、結局、計画どおりに旅行をするのですが、独り旅でした。旅先で幾組もの新婚さんと出会います。彼らと私とは、同じものを見て、同じものを食べているのに決定的に違うのです。私には喜びがなかったことです。
楽しみはいくらでも外から与えることができますが、喜びは、内から湧いてくるものですから、どうしようもありません。
新約聖書に「常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのことに感謝せよ」(テサロニケの信徒への手紙 第1、5章16〜18節 文語訳)とありますが、この3つは別々のことを言っているのではなくて、同じことを別の言い方で表現していると思うのです。「祈れ」と「感謝せよ」とは神さま相手の私たちの状態を指している言葉ですから、「常に喜べ」も、感情よりもっと深いところにある心の状態、神さまと一緒にいる心の満足・・そんなことを表現しようとしているのではないでしょうか。
喜びは、新婚さんの心境。何はともあれ、2人一緒ということでほんわかと、温かくなっている。喜怒哀楽といった、自然な、感情のレベルではなく、愛する人と共にいるときに感じる、平和、安らぎ、などが「喜び」と表現されているのでしょう。
ですから、聖書が命じている「喜び」は、感情を押し殺すことではなく、イエスさまと一緒、ということを自覚する生活だと思います。
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