故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
旧約聖書では、イスラエルの民が約束の地を得るために、先住民と戦っていますね。また、神さまがそうすることを、命じています。これが、愛の神さまのすることなのでしょうか。聖戦って、何でしょうか。
「主は、ねたむ神である」(旧約聖書 申命記6章15節)は有名な句ですからご存じでしょう。これは神さまが<愛>であることを表現したものとされています。神さまが、仮想敵を想定し、それは怒りをぶっつけるような表現にして、どんなにイスラエルを愛されたか、その愛を表現されたのです。
イスラエルは、自分たち以外のものを「憎む」と神さまが言われたことによって、神さまの<愛>を確信することができました。彼らは戦うことによって神さまに従うことを告白し、神さまも勝利を与えることによってイスラエルの<愛>を公にされたのです。しかし神さまは、「地の果てまで出て行って、すべての国民を殲滅(せんめつ)せよ」という命令をされたわけではありません。
「先住民を排除せよ」という命令は、イスラエルへの愛の告白であると共に、弱いイスラエルへの配慮でもありました。これによってイスラエルは、先住民の持っていた異教や、悪い生活習慣に汚染されないはずだったのです。
しかしながら私たちは今日、神さまの愛を、このような「排除することによる告白」として示されてはいません。神さまはもっとダイレクトに、イエス・キリストの出来事を通して「愛している」と語られます。イエスを通して私たちに語られた神さまは、実は私たちだけではなく、全世界の、全人類を愛しておられるのだ、と本心を明かしてくださっているのです。
私たちは全世界への神さまの愛の証人として、遣わされて行きたいものです。
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