故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
ダビデやソロモンに関する個所を読むと、彼らが多くの妻を持っている記述が出てきます。これは「男は妻と結び合い、ふたりは一体となる」という創世記の結婚観と矛盾するもの、つまり罪ではないでしょうか。
「一夫一婦制」は人類が長い歴史の中で練り上げてきた制度で、究極の人間存在の形として完成されたものです。その原形はおっしゃるとおり、創世記の人間創造の記事に出てきます。しかしこれは、最初から制度として律法的に理解されたものではありません。もしこれが律法であったなら、重婚の罪よりも独身や単身の(結婚をしない)罪のほうが問題になったことでしょう。
結婚でいちばん重要視されたのが、「ふたりの一体感」でした。ふたりの間には何者も侵入できない、ふたりの意志はふたりの合意のみによる、という夫婦関係がここで提示されたのです。それがお互いに誠実であるようにという要求になりました。
イスラムでは複数の妻を持つことが許されていますが、どの妻をも平等に扱うことを義務づけています。誠実であることを、平等という形式で表わしたのです。
ダビデやソロモンがどのような生活をしていたか、知ることはできません。たぶん多くの妻を持っても、それぞれに一体感のある家庭(?)を作っていたのでしょう。彼らがそれぞれの妻に誠実に対処していたことは、それらの妻の自由を(異教の神に対する礼拝の自由までも)認めていたことからも推測できます。
この誠実さは、始めは男性の側から理解されたものだけでした。やがて女性の側から男性に求めるものとして、一人の女に一人の男を、という形式に落ち着きました。ここに一夫一婦の制度として、ようやく創世記の結婚観が成就したのです。
旧約の人物たちがその時代その時代の光の中で、つまずきながらも精一杯、御言葉(みことば)に誠実であろうとしたことを、認めてやろうではありませんか。
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