故大江寛人牧師著、「そこんとこよろしく」を全掲載
大好きな祖母が福音を聞かずに死にました。祖母が天国へ行ったのでなければ、私だけ天国へ行くのはいやなのですが。
キリストの救いを受けた者は天国へ、その他の者は他のところへ、と原則が定められていますが、個々人について、私たちは判断できません。ただ神さまの憐れみを祈るのみです。
イエスさまがラザロのお話をされたとき、「彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように」(ルカによる福音書 16章28節)とラザロが願った、と語られました。すでに亡くなられた方々は、今どこにいるにせよ、この世で共に生きた愛する人が楽しい幸せな未来へと進んでいくことを願っている。そのことだけは間違いありません。もし彼らが地獄へ行っているとしたら、なおさらのこと、私たちの救いを望んでおられます。私たちがイエスを信じて天国へ行くことが、何よりの供養になるのです。
あなたが自身の存在について考えてごらんなさい。あなたはご両親の愛と涙と汗の結晶です。そのご両親も祖父母の苦労の実です。その祖父母にもご両親がおられたわけです。何十代にもわたって人々が営々と命を育み、いとおしんでこられたのは、あなたを今日ここに生かすためだった、と言うことができます。
彼らの労苦は、あなたに本当の意味において、幸福になってもらうためだったのです。ですから、あなたには、幸福にならなければならない義務があります。この世だけでなく、神さまの御許(みもと)でも、幸せに生き続けなければなりません。そうなったとき、たとえ福音を聞いていなくても、あなたのご先祖さまたちの生涯は報われます。彼らの営みには意味があったのですから。イエスさまはそんな形で憐れみを表わされるのではないでしょうか。
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